もう10年以上前の話なのに・・・どうしても引っかかる あの言葉

もうずいぶん以前若者の就職難の頃でした。知人とそれを話題に話をしたのです。

私:「若い人が中々就職できないらしい・・・。50回も面接を受けて決まらないとかなり落ち込む、自殺者も出ている」

知人:「う~~ん、でも優秀な人は引く手あまた。3社合格した人もいる」

 

確かに物事は、多面あるので、知人のいうことは間違ってはいない。でも、私はせっかく努力して入った大学を卒業するのに、就職に苦労している気の毒な人の話をしたつもりなので、共感が欲しかった。

それに、現在は若い人が少なく、人出不足。社会の問題だと思っていたのに、気の毒な学生に「努力が足りない」と突き放すような言い方にびっくりした。

知人にとって、社会の問題というより「個人責任」と言いたかったのだろう。

 

果たして本当に就職に苦労していた学生は努力が足りなかったのだろうか・・・?

大学受験するにあたって、受験勉強しない人っているのだろうか????

因みに知人の息子さんはどうしても入りたい大学だと言って一浪して合格した。

そういう経験が言わせた言葉だったのだろう。

 

日本共産党の吉良よし子議員は、高知県進学校出身で高校では成績の良い優等生だった。どうしても早稲田大学に入学したいと受験勉強がんばって合格。

しかし、就職ではかなり苦戦したそうだ。

出版社希望だったが、印刷会社に変更し、やっとの思いで就職にこぎつけた。

その会社でも、上司がヘッドハンティングされてしまい一人で苦労して仕事を覚えたそう。

知人の言葉は、親の立場で、こどもを激励する視点として理解できるが、世の中にはいろんな才能を持った人がいる、それを生かせる社会であって欲しい。

私は、努力しない人なんていないと思っている。どんな人もその人なりの努力はしている、それを認められる社会であって欲しい。

今の社会はお金を持った人、お金を稼ぐことに才能を持った人を「働き者」と呼び、それ以外の人を「怠け者」と呼ぶ風潮がないだろうか・・・・?

私は、知人を残念に思ったのだ。とっても賢くて素晴らしい人だと尊敬している人の口からあのような言葉が出たことが残念で悔しかったのでこんなに長く覚えていたのだろう。

ただあの頃は、自己責任論が流行っていたので、知人もそれを自分の中に取り込んでいたのかもしれない。

しかし、私も自分のことを棚にあげて、人のことを残念だなんて・・・。私は知人を何度も失望させているというのに・・・・。

何度も失望させ、残念がらせたのに、知人は私を見捨てないでいてくれた。

きっともう忘れているだろう。自己責任論のブームは去ったように思う。