ある時、障害者の集まりに呼ばれたタレントさんが、私のこどももダウン症だと言ったことをとらえて、あんな発言するべきではないのでは??障害者の中には自分が障害者だと自覚していない人もいるのに・・・。という意見を聞いた。
なるほど確かに。生まれつきの障害は、本人にとって当たり前の状況なので、障害と認定するのは本人以外の人になる。
本人は不自由を感じていないかも知れない場合はあるのではないだろうか。
それをあなたには障害があるからと決めつけられたら・・・嫌な人もいるかもね。
さて、障害者と健常者の間で“お互い様”は成り立つのだろうか???
ここからは持論です。
自覚のある障害者と健常者の間だったら成り立つかも。
私はものすごく差別されて悲しい悔しい思いをしたこともあったけど
とてもありがたく感謝している人たちがいる。
その人達は、“お互い様”の精神で私をサポートしてくれた。
迷惑かけてばかりの私は、邪魔になってもありがたい存在ではない。
なのにどうしてあの人達はお互い様という気持ちで接してくれたのだろう・・・。
私がかける迷惑はけっしてその人達はやらない。いつだって一方的に私が迷惑をかけているだけなのにどうしてお互い様なのだろう。
私の存在に感謝すらしてくれている様子。
私はこの人達にだけは迷惑をかけてはいけないと強く思っていた。
いつものお礼に自分にできることは、してあげられることは一生懸命にやった。
いつもお世話になっているのだから当たり前だと思っていたけど、かれらは私にお礼を言ってくれる。
でも、そういう人は少ない。貴重な人たち。
例えば、視覚障害者に「よく見ろ」だの言う人はいない。
聴覚障害者に「ちゃんと聞け」という人もいないだろう。
発達障害は、わかりにくい、普通に見える。
普通の人なのに、時々おかしいことをするので、わざとやっているとか、努力が足りないとか言われる。
発達障害者の努力は健常者には理解できない。健常者がなんの努力もなしに普通にできることが発達障害者にはできないから、努力してもできないから、何度同じ注意をされてもできないから。
お互い様の精神で接してくれた健常者の方はこういうことが理解できる人達だった。
けして、私を罵倒しなかった、私にはこういうことがそもそも生まれつきできない。そういう障害だと理解して、罵倒するかわりにコーチングしてくれた。
空気の読めない私に空気を説明し、どうしたらいいかわからない私に的確な指示出してくれていた。
私を障害者だと認めてくれていた。そのうえで、私ができることは、させてくれたし、頼ってもくれた。
だからお互い様だったのか?
世の中こういう人ばかりだったら、私も心を病むこともなく、本来の自分の力を発揮できていたかもしれない。
障害者をお荷物ではなく、社会資源として活用できる社会の方が豊かな社会といえないだろうか。