偏見を克服されてしまった思い出

自分が他の人となんとなく違う・・という違和感は物心ついたときから持っていた。
 
でも、あんまり気にしていなかった。だってしてもしょうがないでしょ。わざとじゃないしねぇ・・。元々こういう人間なんだもん。・・・・くらいに思ってた。
 
しかし周囲は、私が想像できないくらいすごい偏見を持っていた。・・・・らしい。
 
小学校高学年だったある日、成績優秀なクラスメートが、突然「友達になってあげる」と宣言してきた。
 
私には正直、なんで友達になっていただかなくてはいけないのか、さっぱりわからなかった。
でも善意は受け取った。ありがとう・・・と。
 
それからは、その人は何かにつけて私のことを気にかけてくれた。
 
なるほど、これが友達というものか。
 
小学校卒業の時が来た。
 
友達になってくれたその人は、お父さんの転勤で遠くに行くという。
お別れのあいさつをいただいた。
 
「みんなが、あなたを嫌っている、だから友達になったの。お付き合いしてわかった、あなたは普通の人だった。」
 
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そうか、この人も私に偏見をもっていたんだ、で、その偏見の中身を確認しにきたんだな、事実にもとづいて物事を考えてみたわけだ。さすが、頭のいい人は科学的。
 
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種明かしをすると、多分私はコミュニケーション上のちょっとした障害を生まれつき持っていて
人との付き合いがまったくできなかった。
 
私は場の空気が読めず、人の気持ちを理解する能力がなかったのです。
 
教師は私に「遊べない子」と指摘し。
クラスメートには「一緒に遊んであげて、仲間に入れてあげて」という指導を入れた。
クラスメート達も、私も無理してがんばったのだが・・だめだった。楽しいどころか
お互いにすごくしんどくて。それからはみんなと距離をおいていたのです。
考えてみたら、私自身は友達がいなくても何も困らなかった。
 
けれど周囲は困っていた。
 
当時私は、恥ずかしくて言えないような、ある幼稚ないたずらを楽しんでいたのです。
不思議なことに誰も怒らない。いよいよ図に乗ってエスカレートしていた。
 
「空気が読めず人の気持ちが分からない」「人の嫌がることを平気でする」
傍若無人で協調性がなく困った人。指示が通りにくいし、いつもボーっとしている。
近づくと逃げてゆく。
 
よくよく思いだすと私ってひどいこどもだったのです。しかも悪気なく。
嫌われていることにも気付かない。
 
かの優秀な友人は、これはなんとかしなくてはと、迷惑を受け続けるクラスメートのために
ひと肌ぬいでくれたではなかったか。
 
この友人が相手をしてくれるので、困ったいたずらをしなくなったような気がするのです。
 
今どこでどうしておられるのでしょう。賢い指導をしていただいたお礼を言わなくてはいけないのにね。