弔意を示すことと、弔意の政治利用は分けるべきでは?

台風北上中、西日本の皆さん!元気ですかあーーーー

ニュースによると連合の吉野会長が国葬に参加するそうです

国葬は日本人なら当たり前だとか

グズグズ言うなとか

弔意を示すのは当たり前だとか

色々声が聞こえますが

安倍さんの告別式は終わっています。安倍さんが凶弾に倒れたことに対して、政敵の党首の皆さん方はすべて弔意を示しました。

皆さん日本人として適格だったのです

現場に花束を供えていない人だって、あってはならないことが起こってしまった!痛ましい限りと、もちろん私だって思っています

しかし、問題はその後です

なぜ安倍さんはあのような悲惨な死に方をしなければならなかったのか!?

ここが問題なのです

これからやる国葬は政府のイベントです

それも、法的根拠がなく憲法違反です

本来法的根拠がないものに予算はつけられません

国会にも諮っていません

エリザベス女王国葬だって議会の了承を得ています

弔意の強要、政治利用だといわれても仕方がないのではないでしょうか

参加しない判断の方がまともだと思います

国葬に参加する方は、果たして、民主主義国において、どういう行動規範を持っておられるのかが問題になるのではないでしょうか

嫌々仕方無く参加しているように見せて実は、参加は当然が本音なら、統一協会勝共連合との関係を怪しまれても仕方がないように思えます。

もちろん、ただのうれしがり、いきたがりの方もおられるでしょうが・・・・