安倍元総理と山上容疑者・・・二人の犠牲者 反共とは何か

皆さんおはようございます。今朝のお目覚めいかがですか?

さて、とっても個人的なこと書いてみます。

お前の妄想だ!と思われるのもいいかと思います。

私は今度の流血事件で、「反共とは何か」が少しだけわかった気がします。

「・・・あたしはこの一年半、政府の楽屋裏で吉田が何をしているかを、この目ではっきりと見てきた。吉田のもとでは、全面講和もなにもあったものではない。 そして彼らは、その反動性をかくすために反共を叫んでいる。反共は内容のない声である。これは、戦争前夜の声である」=蜷川虎三.

「反共」については上記の言葉が有名ですね。

祖父の反共精神が孫の安倍氏に受け継がれた結果、安倍氏は凶弾に倒れることになりました。彼もまた「反共」の犠牲者で国葬にすることは、安倍氏の政治利用だと思います。これは白井さんの受け売りですが・・・、同感なので。

一方山上容疑者は、犯罪者であると同時にカルトの被害者なので、犠牲者の側面を持っていると思います。もちろん人を殺めた彼の罪は許されません。

「反共」は私たちの生活の隅々と、心の無意識の領域に沈殿していて、選挙になると舞い上がってくるような気がします。

共産主義は本来、資本主義を撲滅する思想ではありません。

本来は資本主義は共産主義のお母さんなのですが、正確に理解する人は少ない、だから「反共は内容が無い」と言われるのでしょう。

マルクスが興味を持ったのは、爛熟した資本主義からどうやって共産主義が産まれてくるのかだったのではなかったのでしょうか。

ダイナミックな過程で、トライアンドエラーの連続です。

私は、旧ソ連や中国をエラーととらえています。

「反共」は安倍氏に「あんな人たち」と叫ばせました。

国民に対して「あんな人たち」はないでしょう。

野党の意見に耳は貸さない、考え方の違う人とは話にならない・・・徹頭徹尾この態度をとり続けました。野党議員も国民に選ばれた、同僚議員で、対等に意見交換して国民の利益を守るのが仕事ではないでしょうか。「反共」は安倍氏を差別主義者にしてしまいました。野党が国会の開催を要求しても無視を決め込み、野党議員が国民のために仕事をすることを許しませんでした。

「反共」は「反民主主義」です。

かつて、私の中にも「反共」が存在しました。意識していませんでした。

でも、選挙を前にして私の中の「反共」が無意識の海からぽっかりと浮かび上がってきたのです。初めて自分自身の中に「反共」を見つけた時、自分が差別主義者だとわかりました。

そして、それ依頼自分を戒めながら生きてきました。

「反共」は戦争の前夜だからそうしないと怖いと思ったのです。