いつも仲間外れにしやがって!と年がら年中怒っている人の気持ち

仲間外れになどしていない。

しかし、彼は仲間外れにしていると怒りを爆発させる。

仲間の中への入り方がわからないらしい。

たーーしーーかに!

非言語的コミュニケーションができないのだ。

もちろん私も。

日本の皆さんの一般的なコミュニケーション方法は非言語的。

これができないと、とっても寂しい。

どんなコミュニティにも入れない。

彼の場合、一応いれてもらえるのだけれど、コミュニティとは、自分の言うことを聞いてもらえる場所だと誤解している。

当然、その横暴なふるまいは他のメンバーの反感を買い、じきに追い出されることになる。

彼にとって、コミュニティとは、何を言っても、そうだそうだと同意してもらい、いやーーーあなたはすばらしい人ですねとチヤホヤしてもらえる場所。

小さい頃からそういう風に扱われてきたから、もはやそれが当然になっている。

彼には人の本音が見抜けない。適当にチヤホヤしていれば、機嫌がいい人だと思われてて、面倒くさいからそういう扱いになっていただけだと思う。

ぞんざいに扱われたと思えば烈火のごとく怒りだすので、付き合いきれなくなるのだ。

 

きっと私もおんなじなんだろうなーーーー。

非言語的コミュニケーションができない人が非言語的コミュニケーションを理解するにはひたすら、よく聞き、よく見るしかない。

おとなしく人の話を聞いて、その人がどんな人か理解すること。

あ・うんの呼吸ができないので、うっかり、自分を出すと、相手の怒りを買う。

「そこは、そーいう所じゃねーだろ!」と、たちまち叩かれる。

非言語的コミュニケーションができない人にとって、仕事をすることは、まるで地雷原を歩きにいくようなもの。

あっぶねーーーーー。

時々、非言語的コミュニケーションができないという自覚がなく、地雷原を平気で歩いているような人を見かける。

誰にも相手にされていない。

おっそろしーーーー。というより気の毒。見ていて痛い!

アメリカの小学校在学中発達障害と診断された栗原類さんの担任サンドラ先生が、お母さんに「コメディを見せなさい」といったのは、この非言語的コミュニケーションを学ばせるためだったのだろうか。