“気遣い”はしたことがなかった。するものだということもわからなかった

最近やっと自分の正体がわかってきて愕然としている。

年配の人の集まりで、本音をいうのはNGだってこと、最近やっと理解できた。

いつでも、どこでも本音でしか話をしたことがなかったからイジメられたのだ。

それが、もう少し早くわかっていたら、だいぶ損をしなくて済んだのに・・・。

絶対、本音で接してはいけない人がこの世にはいる・・・らしい。

まったくしんどい世の中だな・・・。

本音といえば、菅総理、アベ総理・・・みんな本音はいわなかった。

卑怯だと思っていたが、日本ではあれが普通だったんだ。

吉村知事も松井市長も本音はいわない。

ただし、行動は本音だ。

総理も、大阪府知事も市長もコロナ対策など、ほおっておいても、その内収束するものに予算をつけるなんてムダ。だと思っているのだろう。行動がそれを語っている。

大阪でのコロナ対策は、市長が雨カッパ、知事がイソジン

松井市長はコロナ対策吉村知事に丸投げで自らは何もしない、吉村知事は繁華街にPCR検査車配置したりして、やってる感を出しているだけ。

彼らの頭の中は、万博のことでいっぱいらしい。

・・・・・・・・・だからか?本音は行動で見せるもので、言葉は状況に合わせる。これが、日本人の一般のやり方なんだあ~

日本人一般の皆さんはどこで本音を出しているのだろうか・・・。

おそらく、とっても親しい人にだけ。話が通じる人にだけ。なのかな。

しんどくない?ストレスたまらない???

私はこれから一生、どこへいっても、なんにもしゃべらず、(私が本気でしゃべったら、余計な事のデパート)ひたすら、周囲の健常者を観察するしか、存在する方法がないみたい。とほほ・・・。

まあ・・いいか。・・・・だから萩尾望都氏は、作品で本音を語ったんだ。萩尾さんのお母さんは、今でも、漫画家はまともな仕事じゃないと思っているらしい。

お母さんと意思疎通ができず、いつまでも分かってもらえないって・・。

一番分かり合いたい人と分かり合えないつらさが芸術家を作るのか。

本音は、俳句とか川柳とか、小説とか、絵画とか写真とか、マンガとか・・・・日本人は本音を芸術で語る?

そうだ自分は江戸時代か戦時中で生活していると思えばいいんだ。

私にはそれくらい窮屈なのに、どんな集まりに行っても、どんな人たちにでも、笑顔で合わせ、まったくしんどくない、「私はどんな人にも合わせられる」と豪語する普通の人ってすごい。空気を読む能力が半端ない、天才!

(実際に、人に合わせるのが上手な方にしんどくないか聞いたことがあり、そんな答えが返ってきた。)

日本における会話とは、お天気の話とか、相手が躊躇なく返事ができる、当たり障りのない雑談や世間話をすること。しかし、そのさりげない、受け答えの中に本音が隠れているので、それを察して本音の会話をする。雑談の体をとり、相手を知ることから付き合いが始まるらしい・・・・。難しーーーーーーー。