ひどい政治が続いています、解決するには・・・

政権を変えるのが正解だと思うのですが、…なぜかこの国では、その選択にとてつもない勇気がいるようなのです。

もちろん、マスメディアが政権に忖度して、本当のことを中々報道しない、報道しても忖度報道になっているということもあるのですが、さすがにマイナ保険証はどのメディアも“立ち止まれ”報道が多かった。忖度メディアすらもうこの政権にはついていけなくなったのでしょう。

世界に学ぶ主権者教育の最前線

この問題を考えるヒントを探していたら、この本を見つけました。

主権者教育は始まったばかりでしたが、30年ほどの実践の積み上げがあることを知りました。

学校の運営に生徒代表を入れて、教員代表・生徒代表・地域代表の3者で話し会って票決で決める。生徒の1票も、教員代表や地域代表など、大人と同じ1票です。

この方法で学校にかかわる様々なことを決めていく実践・経験の積み重ねでいかに生徒に、民主主義を経験させるか!

民主主義だけは、本を読んでも授業を受けても身につかない、経験することでしか学べないというのです。

確かに!

意見を言ってもどうせ、力でひっくり返される、こどもの意見など聞いてもらえない、そんな体験ばかりして、社会にでても、上の人の顔色を窺いうまくやるイエスマンにしかなれません。

自分の意見を聞いてもらえる。意見を求められる。1票を投じることができる。

この1票で決まってゆく。実践の中には、校長を選ぶ面接に生徒代表も参加して、投票で校長を決める取り組みもありました。

ここは大事だと思った部分を抜き書きします。

ただし、学校会議のような、児童・生徒参加は、答えのない問いに対して学校当事者間において合意形成を図りながら最善の答えを見出そうとする取り組みである。

学校当事者、特に児童・生徒が見出した答えに真摯に応答するために教員には、ともに答えのない問いに答えを見出そうとする姿勢や児童・生徒が見出した答えに的確に応答する力量が求められる。教員にとって大きな意識改革や「新たな専門性」の形成が求められる。

 私はかつて「新しい専門性」として「自分の答えが正しいと思い込まない力量」すなわち「正しいと思い込みがちな自己の考えを一旦、自己の外側に置き、改めて他者の考えと突き合わせ、評価できる力量」を指摘した(柳沢2010:133)

日本の教員にも、答えのない問いに答えを見出すという営みに児童・生徒とともに向かい合うことが求められることとなる。教員自身が意見表明や合意形成の体現者でなければならない。

柳沢良明  香川大学教育学部教授