役者じゃなくても、人生には演技力が必要

 最近、中国ドラマ「如意伝」にはまっています。如意の侍女阿若役は怪演。

物事の理解が自分中心。こういう人はたくさんおられますね。まぁ私もそうだし・・。

阿若から見た宮中は、きらびやかな世界。「自分も妃嬪になりたい」豪華な衣装を着て爪を伸ばして、爪飾りをつけ、侍女を侍らせる生活への憧れ。チャンスをものにしますが・・。

如意から見た宮中は何事も命がけの世界、些細なことで失敗すれば命を落とす。一人の夫を大勢の妃嬪と共有するのはつらいこと。

 如意から見た阿若は、ふるまいが大柄で、命がいくつあっても足りない危なっかしい存在です。そこで宮中から出して結婚させようと考えるのです。

 如意は自分が幸せだと思う幸せを阿若に与えようとしますが、阿若からすれば、妃嬪への道を奪われたことになります。二人は価値観が違うのです。

話は変わりますが、説明が分かりやすい人がいます。

その人の説明は、必ず、説明される人の立場や、考え方に沿って話をしています。

分かりにくい説明をする人は、自分の立場から考えたことで相手に説明しています。

つまり、上手な説明をする人は、目の前の人になったつもりで、その人を演じているのだと思います。

人生には演技力って必要なんですね。