今日はちょっと嫌なこととチョンボがありました。
ちょっと前の私なら、受け止められなかったのですが、今ならなんとか・・。
勇気を出してミスして迷惑かけた人に謝りにいきます。
相手が心の広い人なら許してくれるだろうし、ダメなら嫌われるだけだし・・失いたくない人ですので本当は内緒にしておきたい気もあるのですが、それでは自分が許せない。
話しは変わりますが最近ねえイエスキリストが自分の人生でなにを訴えたかったのか自分なりに想像できるような気になってきました。
私はクリスチャンで聖書で育ったので何かあると聖書のお話を考えるのです。
私は若い頃、善人は災難にあっても最後には幸せになると単純に信じていたのですが、イエスは違いました。
いいことしたのにハッピーエンドにならなかった。
人の人生ってこういうものだと教えているように感じます。
だって浅田真央ちゃんみたいに才能と環境チャンスに恵まれた人でも、障害を持って生まれた人でも
生きるための試練はそれなりにあるんですもの。
勇気を出して、死んでもいいから立ち向かうのか逃げるのかは自分で決めなければなりません。
そこだけは一緒なんです。
ゲッセマニでの苦悩、こと切れる瞬間の叫び。
イエスの勝利って、結局立ち向かうことを選んだ。ということではないかしら・・・。
人生はハッピーエンドかどうかではなく、どっちを選んだか、勇気を出すべき時が自覚できたかどうか
だと考えるようになりました。
<写真はデジカメで撮ったもの>