推古天皇 評伝読んでみました

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義江明子著 推古天皇

流し読みですが、当時と今はとんでもなく違いますね。

結婚は、妻どい婚。推古天皇の名前は額田部(ヌカタベ)。

額田部は蘇我稲目の娘キタシヒメの4番目のこども。

キタシヒメは欽明天皇の5人のキサキのうちの4番目。

キタシヒメと馬子は蘇我稲目の子供。

ややこしい・・・。つまり馬子は額田部の叔父だが、年齢は3歳しか違わない。

蘇我稲目の屋敷には、天皇の妻とこども達がゴロゴロ居て、ついでに叔父さんや叔母さん達もゴロゴロ一緒にいて一族の結束は固かった、天皇の妻を養い、こども達を養育する妻の実家の力は強かった。

今みたいに、女性が夫の家に嫁いていなかったんだ!!!!!!

従妹くらいのつながりの間で近親婚を繰り返し、財産の散逸をふせいでいた。

財産は、男女の区別なく均等に譲られていた。

天皇崩御すると、次の天皇は群臣の推挙できまった。

聖徳太子というのはのちの世代がつけた名前で、当時は“太子”制度はなかった。)

額田部の夫、敏達天皇崩御すると、次の天皇をめぐって争いが起き、夫を弔う

もがりのみや(殯(もがり))にいる額田部を皇位を狙う穴穂部が犯そうと入るのを、敏達と額田部の忠臣、三輪君逆(サカウ)が阻止し、殺されてしまう・・・・

大スペクタクルなお話でおもしろい。

朝鮮王朝や中国王朝の歴史ドラマは流行っていますが、日本の時代もすごいので、ぜひドラマにしたらおもしろそうだなあと思いましたでも、韓国も中国ももう皇族が現役でないので、ドラマにできるのでしょうが、日本はまだ皇族が現役なのでむずかしいだろうなあ・・・と思いました。それに、古墳の詳しい調査も宮内庁が許さないし・・・

5世紀はジェンダー平等社会だったことがわかった。