映画「沈黙」について記事発見

高橋源一郎先生の「丘の上のバカ」を少し前に読んだ
神様を信じない人のことを神様を信じる人は、「人でなし」だと思うかもしれない、しかし先生はドストエフスキーさんが書いた「カラマーゾフの兄弟」略称「カラ兄」のお兄さんアリョーシャさんは神様が好きすぎて無神論者になったようだと書いている。神様が好きすぎて無神論者になったのなら、あながち「人でなし」でもなさそうな気がするが、どう思いますか?
カラ兄を書いたドストエフスキーさんとカラ兄の弟は神様を信じる派なんだけど、読み終わると無神論者のアリョーシャさんに好感が持てるとのこと。
さて、この記事
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しんぶん赤旗より〉
私が学んだミッションクスールでは「宗教」の時間があり、そこで本職の神父様の授業を受けた、ある日の授業では、図書館にいって宗教の起源を調べてきなさいとのこと。
調べてきた宗教を生徒が発表したとき、辞典に書いてあったとおり仏教を作った「釈迦」を釈迦と読んだら、神父様は釈迦とは言わずお釈迦様と呼び、キリスト教以外の宗教に敬意を払った。そしてその授業で私が学んだのは、宗教が人間生存の厳しい環境の地域で生まれたこと、すはなち宗教は人間が作ったということ。

もう一ついうと、私たちに科学を教えてくれたのは、正真正銘のシスターだったが、彼女は実に科学的な人だった。そして、宗教と科学をキチンと区別することを教えてくれた。

もしかしたら、ドストエフスキーさんも遠藤周作さんも神父様も、シスターも人間が好きで、その苦しみ煩悶に心寄せることが宗教の本質だと思っていたのではなかろうか。