それは違うよ・・誤解と偏見のカベを打ち破ろう!

誤解と偏見のカベが時として人の命を奪うことがある。私はそれを若いころ体験した。
友人が自殺してしまったのである。
身近な人を自殺でなくすなんて・・・。ショックを受けた。
そしてその人の自殺の原因はまさしく、友人自身の誤解と偏見だったと思う。

友人のお姉さんは精神を患っていた。
そのため友人自身と家族は辛く怖い思いをして暮らしていた、幻覚幻聴があるのか、お姉さんは包丁を持ってお母さんを追いかけまわしたこともあるそうだ。
ある時、友人は家で友達と電話で会話していたが、その時、お姉さんが大声でわめいていた。
なにかすごい声がするけど・・と電話で友達に言われ、とっさに「今、テレビで昔の怪獣映画やってるからその音声だよ」というと電話の相手が納得した。でも自分は安心したと同時につらかった。怪獣みたいだけど、姉なのだ。姉は精神障害者だ。そう思うととてもつらかった。という。
もちろん時々入院もする、けれどなぜか、入院するとすぐよくなって、家に帰りたいと訴える。お父さんはかわいい娘のいうことを受け入れて、退院させてしまうのだそうだ。
友人のお母さんは友人が中学生の頃亡くなった。
その時から、友人は障害者に対して、憎しみを抱くようになった。母を殺したのは姉だ、間接的に殺したのだと深い恨みを抱くようになった。という。

その時点で私は違うと思った。お姉さんが悪い、障害者が悪いというより、お姉さんは病気に苦しめられているだけなんだ。と思ったけれど、でも目の前の友人には到底通じそうになかったので、何も言えなかった。
でも、友人は賢いので、きっと自分で、自分の誤りに気付くのではないか、そういう人なのではないか、と一縷の望みを持った。自分で気づいてほしい・・・。

それから10年以上経過したある日、友人が自分で命を絶ったとの連絡を受けた。

友人は病にかかり、視力を失い障害者になったのだ。そして命を絶った。

私は、友人の話を聞いた時を思い出した。そしてどうしてあの時、「違うよ、お姉さんのせいではない、病気のせいなんだよ」「治るまでちゃんと治療してもらおうよ」
となぜ言えなかったんだろうと後悔した。言ったとしても、「経験したことないあなたに私の気持ちがわかるはずない」と言われることを予想していた、そして、そういわれたら、もう私には返す言葉がなかった。

返す言葉がなくても、私の本心なのだから言った方が良かったのではないか。
ひどいこと言われるかもしれないけど、真心ならいうべきだった。
真心なら伝わるかもしれない。
結局私には勇気がなったかのか。
勇気を出して、誤解や偏見にたちむかうべきだったと思う。