新自由主義社会になってから障害者はどういう存在になったのか????
ちょっと以前なら、障害者=気の毒な人、恵まれない人(健常な体に)だったんじゃないかな・・・・。
でも今は、障害者=悪になった感じがする。
生活保護受給者・公務員へのバッシングもひどかった。
信じられない異常なことだと思った。
今だけ、金だけ、自分だけが新自由主義
福祉に国家予算を使うのはムダだという空気が醸成された。
信じられないことだけど、私はお年寄りに、早く死にたい、一定の歳になったら国が殺してくれたらいいのに・・・・。と言われたことがある。
いったいどんな気持ちがこんなことを言わせているのだろうか。
こどもへの予算も減った。
子宝といって子どもは大切な存在だったはずなのに・・・。
これではいけない日本が滅亡してしまうと、口では、福祉分野、こども分野にもお金を使うと政府も口にするようにはなったが、本気が感じられない。
新自由主義路線をやめて、本気で給料を上げ、年金を上げ、生活保護を上げ、児童手当を上げ・・・・。消費税率は下げ、本気で国民生活を充実への道に切り替えないと未来がないのに・・・
新自由主義がめざす世界はお金を稼ぐ健常な人だけが存在する世界のよう、世話をし、面倒をみないといけない乳飲み子もお年寄りも障害者もまったくいない健常な人だけの世界・・・。こんな世界は人が存在できないだろう。
では、乳飲み子、年より、障害者が普通に存在し、当たり前のように世話や支援を受け、生活する、もちろん障害者も生産労働に参加する社会とはどんな社会なのだろうか。
特別扱いをされるのではない、こどもであること、年よりであること、障害者であることを否定されない社会である。
自分の存在を“迷惑をかけてる、世話になっている”とまったく感じることなく普通に存在できる社会である。
今よりずっと生産性が高く、豊かなに社会になるのではないだろうか。誰もが、望めばこどもを生み育てられる、歳をとったら自分らしく生活できる。
金儲けに合わせた世界ではなく人間に合わせた社会の方がより現実的でしあわせな社会ではないだろうか。